【2022年最新】ROLEXの歴史・解説【これを見れば一目瞭然】
今年になって更に人気が加速とともに値段が高騰中のロレックスに注目してみましょう!
ROLEXの歴史
ロレックスの成功は、腕時計の歴史を創上りげてきた数々の発明と業績の賜物である。ダイアルのブランド名、正確な時刻表示、防水腕時計、自動巻き機構など、その多くは、今日では当然の要素として定着している。ドイツ生まれのハンス・ウイルスドルフが会社を設立した1905年から、自社製クロノグラフムープメントが完成した2000年までの1世紀は、まさにハイライトの連続である。クロノスドイツ版編集部が最も重要な20のマイルストーンを示す。
1905年:
イギリス国籍を取得したウイルスドルフは、腕時計で大きな成功を収めていたにもかかわらず、当時、広く根付いていた慣習を快く思っていなかった。イギリスの大型輸入店が、ムーブメントやダイアルに自社の名称に限って入れることを許し、デザイナーや製造者、卸売業者には社名を入れることが許されていなかったのである。引き続き良好なビジネス関係を維持するため、ウイルスドルフは銘に関する強制的とも言えるこの不文律に屈従せざるを得なかった。
だが、その一方で、卓越した製品には魅力的な名称が必要であることが、彼には分かりすぎるほど分かっていた。かくして、ある程度、時問が経ってから、彼は自分自身が不可避と考える道を歩むことを決意したのだ。1908年、ウイルスドルフは自身の時計のために”ROLEX”を商標登録する。由来には諸説あるが、一説には “rolling export”の造語とも言われている。2音節で耳に残りやすいこの名称は、どの言語でも簡単に発音でき、ダイアル上であまり場所を取らなかったことから、時計宝飾店にも名を入れるスペースが残されていた。目標を達成するには、ある種の “小出し戦略"が必要だった。
彼はまず、供給する時計の一部で、ダイアルに “ROLEX” の文字を入れる許可を納入先から取り付ける。その後、この銘の入った時計の納品数を少しずつ増やしていったのである 。ダイアルやムーブメント、ケースにロレックスの名のみを刻めるようになるまで、合計で19年かかった。13リーニュのエグラー社製手巻きムーブメントをシルバーのハンターケースに装填し、エナメルダイアルと赤の”12″の数字を備えた手巻き腕時計は、今日では世界的に有名なブランド名が入った最も初期のモデルに数えられている。
「ROLEX」という商品名(ブランド名)が、スイスのラ・ショードフォンで商標登録され、時計の製造をはじめる。
「ROLEX」ネーミングは、印象に残り、どこの国の言葉でも発音しやすいようにという思いと、そのロゴが文字盤に刻印された時、綺麗に見えるようにという思いから作られた。
ある説によれば、hoROLogoEXtraordinaire(類まれなる時計)という意味が含まれているとかROLLING(機械的な動作)とEX(無限)を組み合わせた造語とも言われている。
1910年:
ハンス・ウイルスドルフが何よりも優先したのは信頼性と高精度である。ロレックスが公式検査によって腕時計の精度を実証していた1916年になっても、同時代の保守的な人々からは腕時計が完全には受け入れられていなかったことが、彼がこれらを極めて重視した理由である。男性の持つ時計としては柔弱と みなされたばかりか、腕時計は他のタイプの時計よりも精度が劣るとされていたのである。だが、ロレックスの設立者、ウイルスドルフは、腕時計も懐中時計と同じくらい高精度を出すことが可能で、また、高精度であるべきだと信じて疑わなかった。
こうした信念に基づき、ロレックスは1910年に、後の公認時計検定局となるビエンヌ時計学校に 11リーニュのレバー脱進機のサンプルを提出した。脱進機はここで、公式な監督の下、さまざまな姿勢や温度差のある環境で14日間、精度を証明しなければならない。2週間に及ぶ検査を終えた後は、情け容赦ない検定委員会でさえ、公認歩度証明書に祝福の言葉を添えて “ミニチュア”ムーブメントを返送するしかなかった。これが、世界で初めて 腕時計に授与された公認歩度証明書である。
1912年:
スイスのビエンヌに社を移す。
1914年:
ハンス・ウイルスドルフは、これまで通り、イギリスで事業を展開していたことから、エグラー社製の 11リーニュの手巻きムーブメントを当地でも検査に提出した。2回目となる公式の実証検査は 1914年、英国キュー・テディントン天文台の国立物理学研究所で行われた。ムーブメントはここでも優秀な成績で合格する。この検査は、3時上、3時右、3時左、ダイアル上、ダイアル下の5つの姿勢と、室温、冷蔵庫の温度、調整炉の温度の3段階の温度差で45日間にわたって実施された。
検査の結果、青いエナメルベゼルを備えたゴールド製の時計は、腕時計としては史上初めてA級の公認歩度証明書を獲得する。この種の公認歩度証明書は、基本的にマリンクロノメーターのような大型時計のために考案されたものであった。ここまで小型のムーブメントには需要がなく、専用の規定が用意されていなかったことから、“ミニチュア” ムーブメントの測定には、かなりの数の機器を使用しなければならなかった。
1919年:
スイス・ジュネーブに社を移す。
1926年:
腕時計が汚れや湿気に弱いのはケースに起因するという批判は、ハンス・ウイルスドルフの元にも繰り返し届いていた。弱点は、風防の緑と裏蓋、そして、リュウズであった。ラバーやレザーのような弾性のある素材は劣化することから、彼はこうした素材をパッキンに使用することを選ばず、以下の構成部品によって、あくまでも設計のうえで解決することにこだわった。
A 水が浸入しないように各パーツ同士をねじ込んで密閉する気密性が完壁なケース
B 形状がケースと一致し、人工素材でできた、当時、新発明の完全に密閉できる風防
C 毎日使用しても湿気の浸入からムーブメトを確実に守る巻き上げ用リュウズ
1926年10月18日、ウイルスドルフはベルンのスイス知的財産庁で、巻き上げ用ねじ込み式リュウズを備えたケースの特許を申請した。イギリスでは 1926年10月30日に特許申請が受理されている。ねじ込み式ケース自体は、当時すでに特許保護の対象となっていた。ロレックスは、二枚貝に由来する“オイスター”という印象的な名をこのケースに与えた。さらに、時計と同時に、ケースに浸入したわずか 0.5mgの水滴でも特定できる新型の検査器具も開発する。ウイルスドルフは時計販売店から無条件で受け入れられることを望んでいた。マーケティングに長けた老練な戦略家がそのために提供したのは、同じく特許を取得した小型水槽である。ショーウィンドウに置かれた水槽の中で、時を刻むオイスターの周囲を金魚が驚いた様子で泳ぐという趣向だった。結果、その戦略は見事に成功したのである。
1927年:
1920年代の後半になると、多くの人々が懐中時計を想起させる丸型ケースに飽きてしまっていた。ウイルスドルフはこの傾向から結論を導き出し、オイスター・コレクションのラインナップをいち早く充実させた。ゴールドやシルバー、ニッケルメッキ仕上げの真鍮など、さまざまな素材を採用し、サイズの異なるクッション型や八角形のケースを幅広く取り揃えたのだ。
時速437.91km/h という、モータースポーツ界におけるセンセーショナルな速度記録を1933年に樹立することになるイギリスのレーサー、マルコム・キャンベル卿は、初期のオイスターを着用していた著名人のひとりである。キャンベル卿はロレックスに宛てた手紙で、称賛の言葉を贈っている。「私はレースの間、ずっとこの時計を着用していました。(中略)この時計は長時間、振動にさらされていたに もかかわらず、精度が損なわれることはありませんでした」。キャンベル脚のほか、アール・ ハウやアラン・コブハム卿、また、グランプリ 勝者のルイ・シロン、タツィオ・ヌヴォラーリ、 ルドルフ・カラツィオラなどのレーサーもロレックス“オイスター“ の素晴らしさを認め、自らのために利用した。
1933 年、エベレスト初登頂を競っていたふたつのヒマラヤ遠征隊の隊員たちも、ロレックス・オイスターのダイアルを眺めていた。登頂に失敗した原因は時計ではなかった。携行した時計が常に正確な時を刻んでいたことは、ヒューストン卿夫人と隊長のヒュー・ラットレッジが後にウイルスドルフに宛てた手紙の中で証言している。
1928年:
ロレックス・プリンスは、今も多くのコレクターを魅了してやまない。形式的にも技術的にも革命を体現しており、そのデザインは1920年代後期という時代に極めて合っていた。1926年8月26日、スイス知的財産庁にこのモデルの意匠登録が出願された。すらりと伸びたレクタンギュラー型ケースと珍しいダイアルを持つこの時計を購入できるようになったのは、1928年になってからである。
ダイアルの上部では時針と分針が回転し、下部は比較的大きな秒針が占めていた。良好な視認性に貢献するこの配置は、特にスポーツ選手や研究者、医者から高く評価された。”プリンス・デュオ・ダイアル”が”ドクターズウォッチ”の愛称で呼ばれるようになったのは、こうした理由によるものである。さらに、秒針を他の要素から独立させることで卓越した精度を具体的にアピールできることも、もうひとつの効果だった。ケースに隙間なく収まった”バゲッド” キャリバーT.S. (16.6 X 32.7mm) は、約58時間のパワーリザーブを備えていた。1936 年12月15日、プリンスは英国キュー天文台で、それまでに提出されたどの腕時計よりも優れた成績を収める。
ロレックスは当初、写真の“ブランカード“(“ポータブル”の意)や、シンプルで約10%価格の安い“クラシック”というデザインで新作のプリンスを市場に送り出した。中でも、ストライプケースに入った1930年のブランカードは、とりわけ好評を博したモデルで、販売数は短期間で3倍に伸びた。1934年からはプリンスのスティールモデルも販売され、1935年には、ケースサイドに段の入った“レイルウェイ”(鉄道の意)というモデルも仲間入りした。ロレックスは、この“気品ある紳士のための時計”を“特に良好な精度“というランクの公認クロノメーター証明書とともに納入したが、当然生産数は限られていた。1935年には瞬時に切り替わるデジタル式のアワー表示とCal.H.S.を搭載したバリエーションが発表され、コレクションの牽引役としても本領を発揮した。カナダのデパートチェーン、イートンズも、プリンスの価値をよく理解していた。イートンズは、勤続25 年の社員を“四半世紀クラプ”に迎えることで、その功績に敬意を表していた。ダイアルにしかるべき文字をプリントしたゴールドのプリンスこそ、このクラブの会員であるの証であった。
1930年:
ロレックスのデフュージョンブランド(低価格ブランド)、「TUDOR」(チュードル)を発売。イギリスでの販売需要の拡大が狙い。
1931年:
「ロレックス・オイスターの完成は、自動巻き時計を作ったことによる必然的帰結である 。自動巻き時計では、ムーブメントが常に自動的に巻き上げられることで、時計が止まらないことが保証されている」。ウイルスドルフは自叙伝にこう綴る。密閉された防水ケースには、毎日リュウズを巻く必要のないムープメントが必要だったのである。ねじ込み式リュウズを緩める動作を繰り返し行えば、長い目で見れば気密性に影響が出る。また、リュウズを締め忘れた不注意なユーザーは、厄介な結末を甘受しなければならない。
こうして、技術者、エミール・ポーラーの出番がやって きた。"ノイズがまったく発生せず、振動もなく、バンパーも使用せず、ローターが両方向に回転する自動巻き上げ機構の発明”こそ、まさに“賢者の石”であった。この野心的な目標は1931年に達成される。片方向巻き上げ式ローターを搭駐した、こうしたタイプでは唯ー、厚さ7.5mmのCal.NA620に特許を取得する際、弁理士は実に完璧に仕事をこなした。バンパースプリングを必要としない、腕時計にふさわしい自動巻き機構がようやく完成したにもかかわらず、他のコンペティータは続く15年間、その利用を断念せざるを得なかったのである。
腕をわずかに動かすだけで、主ゼンマイに はエネルギーが供給され、この時計を毎日6時間、手首に着用すれば、35時問分のエネルギーをチャージすることができた。その後も絶え間なく改良が重ねられ、設計の見直しも頻繁に行われた。信頼性の高い原理と”ロレックス・パーペチュアル"の哲学は、現在に至るまで何ひとつ変わっていない。可能な限り薄いムープメントを作ることに主眼が置かれたのではなく、高精度や信頼性、耐久性が最も重視された。スモールセコンドを搭駐した自動巻きのニューカマーは当初、ケースがふくらんでいたことから`“バブルバック“の愛称で呼ばれるようになった。
1936年:
パイロットに携帯されロレックスはエベレスト上空を飛行、空でもその性能を発揮する。
1936年:
イギリスのジョージ5世の王位25周年を記念としてイギリス王室から時計500個の受注。 その時計を「プリンス」と命名。
1945年:
ハンス・ウイルスドルフがジュネーブで会社設立40周年を祝う1945年には、当然のことながら、それにふさわしい記念モデルが必要であると誰もが考えた。オイスターケース、自動巻きのローターメカニズム、クロノメーター証明書といった、ロレックスがそれまでに成し遂げた成果をひとつのモデルに集約することは言うまでもなかった。王冠のロゴを持つこのブランドが総仕上げとして付け加えたのは、午前零時ちょうどに切り替わる、視認性に優れた3時位置の日付窓であった。重要な要素をすべて備えた新型デイトジャストが伝説の時計となり、アメリカで20世紀の腕時計に選ばれたのも不思議ではない。デイトジャストは当時、ほぼ完璧な仕上がりを見せていたが、ロレックスは数十年の間、この不朽の名作にも絶え間なく改良を重ねてきた。とは言え、デイトジャストの特性を堅持するため、改良は繊細な範囲に留められ、今日に至る。
1953年:
1921年以降、標高8848m のエベレストは、世界最高峰として登山家を魅了してきた。だが、1953年まで、エベレストは登山家たちの挑戦をことごとく拒んできた。この年、陸軍大佐、ジョン・ハント卿がイギリスのエベレスト遠征隊の隊長に指名される。この遠征隊には、ニュージーランド出身のエドモンド・P・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイも名を連ねていた。念願がかない、雪と氷に覆われたヒマラヤ東南稜の征服に成功したのは、ヒラリーたちのチームであった。1953年5月29日午前11時30分ちょうど、ヒラリーとノルゲイはエベレストの山頂に到達する。
時刻について、このチームはロレックスに信頼を寄せていた。エベレスト遠征時に着用された時計に関しては、さまざまな見解がある。1953年の初頭、ロレックスはホワイトダイアルのモデルを提供する。同時に、ブラックダイアル、時刻をしっかりと確認できる夜光インデックス、3時、6時、9時の夜光数字、12時位置の夜光三角マークを備えたオイスターパーペチュアルの特別モデルも供給していた。Ref.6150 のこれらの腕時計には、夜光塗料を塗布した独特なフォルムの時針、分針、秒針が装備されていたが、両者にはまだ “EXPLORER”の文字は入っていない。
こうした極めて珍しい探検用腕時計の1本を、テンジン・ノルゲイも着用していた。スイス人登山家レイモンド・ランベールがノルゲイに贈ったもので、1988年7月19日、ロンドンのオークションハウス、サザビーズで、ロット番号117番で競売に付された。ケースに “IV53″の文字が刻まれていることから、この時計が製造されたのが初登頂の1カ月前の1953年4月であることが推測される。無事帰還したジョン・ハント師は、1953年6月15日、ロンドンに向けて次のように書いている。「(時計が)これほど正確に時を刻み続けたことは、私たちにとって非常にありがたいことでした。そのおかげで、隊員同士、常に正しく時計を同期させることができたのです。(中略)自動巻き時計は最終的に、ゼンマイを巻き上げる作業をチームに代わって引き受けてくれました。標高が2万5000フィートを超えてくると、これは是非とも必要になります。なぜなら、標高の高い場所では思考が緩慢になり、その結果、時計を巻き忘れることもあるからです。(中略)私たちは今では、ロレックスオイスターを高山装備品の中でも重要な必需品と考えています」。
1954年:
1954年、バーゼルの時計見本市を訪れた来場者は、5つあるロレックスのショーウィンドウのひとつで、これまでにない新作を発見した。マットブラックのダイアル、特大サイズの夜光インデックス、夜光塗料を塗布した時時針、分針、秒針を備えた腕時計である。これには、ミニッツスケールを配したグリップの良い回転ベゼルも装備されていた。Ref.6204のニューカマーの横には、 “Submarinerーthe diver’s friend(訳注:サブマリーナー、ダイバーの友)"と書かれた小さなプレートが置かれていた。
その1年前 ロレックスはすでに自動巻きダイバーズウォッチRef.6200 を作っていた。このモデルでは、二重に保護されたリュウズによって防水性が100mに向上していた 。潜水開始時、当時はまだ両方向に回転していたベゼルに刻まれたミニッツスケールのゼロ位筐と分針を合わせておけば、ダイバーはいつでも潜水時間をひと目で確認することができた。ロレックスがプロフェッショナルな観点から開発に取り 組めたのは、当時の社長、ルネ・P·ジャンヌレの貢献によるものである。熱狂的なアマチュアダイバーだったジャンヌレは、ケースや回転ベゼル、ダイアルの設計についても助言している。
こうした経験が目覚ましい飛躍をもたらすことになる。地中海西域の水深12mから60mの海中で132回、潜水実験を行ったカンヌ深海海洋学研究所は、1953年10月に”ロレックス防水時計、サブマリーナーを使用した潜水実験”の中で次のように報告している。「実験時は、この時計に保護対策をまったく講じなかった。それどころか、上陸時には、(中略)約2m低い場所にあるコンクリートの岸壁に、時計を落としてしまった。激しい衝撃か加わったにもかかわらず、時計の精度はまったく損なわれず、分針の夜光塗料がわずかに剥離したことが唯一、確認された損傷だった。回転ベゼルが装備されたことで、潜水時の安全性が大幅に向上した 。潜水時間はセーフティーボードによって到達する水深ごとに規定されているか、回転ベゼルを確認することで、規定時問を超過してダイバーか水中に留まるのを防ぐことができるからである。こうした理由から、我々は今後、少なくとも潜水チームの貴任者にはこうした時計を着用するよう、指示するつもりである。なぜなら、これこそがまさに、著しい進歩をもたらす安全対策だからである」。
200mの防水性を備えた後継機は、特オにーストラリア、イギリス、カナダの海兵部隊から高く評価され、サブマリーナーは公式時計として選ばれるようになった。今日の最新モデルは、水深300mまで携行できる。三重に保護されたねじ込み式リュウズは、リュウズガードによって損傷から守られている。また、傷に強い“セラクロム”を採用したベゼルは、安全上の理由から、120ステップで反時計回りにしか回せないようになっている。
日付と曜日を兼ねた世界初の腕時計「デイデイト」の誕生。ゴールドとプラチナのみのラグジュアリーウォッチ。
医療や技師といった科学分野に携わる人々のために開発された耐磁性ウォッチ「ミルガウス」の誕生。
機械式時計には敵がいる。伝統にのっとって常に比較的厚く設計されていることから信頼性の高いロレックスのムーブメントでさえ止めてしまうほどの敵とは、強力な磁気である。発電所の技術者や飛行機のパイロット、また、エンジニアは、常に磁気の影響に悩まされてきた。彼らの要望に応えるべく、ロレックスは 1954年に伝説的な“ミルガウス"(Ref.6451) を作り上げる。
常磁性の構成部品を搭載し、モディファイされた自動巻きCal.1065Mと、磁気の発生を妨げる伝導性の軟鉄製インナーケースの恩恵により、ミルガウスは最大1000ガウスの磁場においても確実に正しい時刻を表示することができ、欧州原子核研究機構(CERN)も1970年8月10日にこれを実証している。それにもかかわらず、ミルガウスは採算性を確保できるほど生産されなかったことから、1990年には公式カタログから姿を消してしまった。2007年、コレクターの間で高い人気を誇るこの時計はリバイバルを果たす。ミルガウスというモデル名は、フランス語で千を意味する”mille”の短縮形”mil”と、ドイツの有名な物理学者、カール·フリードリヒ・ガウスの造語である。当時と同じく、前述の耐磁性には今日もさまざまな要素が貢献している。
1:ロレックスが自社で開発、製造したニオブ とジルコニウムの合金に酸化被膜処理を施した巻き上げ式パラクロム・ヘアスプリング。耐磁性に優れ、従来のヒゲゼンマイより耐衝繋性も最大10 倍
2:常磁性素材を使用したガンギ車を搭載した脱進機
3:C.O.S.C.認定クロノメーターの自動巻きCal.3131全体を覆う、ロレックスが開発した磁場シールド
スティールケースは100mの防水性を備えている。特に人気が高いのは、ほのかな緑色を発するグリーンサファイアクリスタルを風 防に採用したモデルだ。稲妻をかたどった秒針は、旧モデルヘのオマージュである。
1955年:
1945年、ロレックスはすでに、24すべてのタイムゾーンを同時に表示する初の腕時計を発表していた。だが煩雑さゆえに時刻は読み取りづらくなっていた。とは言え、全世界で通用するこのタイムピースがあったからこそ、パンアメリカン航空がロレックスに関心を寄せたとも考えられる。いずれにしても、パンアメリカン航空が、ローカルタイムとホームタイムのふたつのゾーンタイムのみを表示する腕時計が作れないかとロレックスに依頼したのは、1953年のことである。パリのリッツホテルに滞在していたハンス・ウイルスドルフは、頭に浮かんだアイデアを原案にまとめ、ジュネーブに送った。この貴重な手紙に基づき、共同開発チームは仕事に着手した。
“GMT マスター"は1954年に完成し、ロレックスはその1年後、Ref.6542として発売する。通常の時針と同軸上に取り付けられた24時問で1回転する2本目の時針が大きな特徴であった。第2タイムゾーンの時刻は、GMT針に対応する24時間計回転ベゼルで合わせる。パイロットの視界を妨げる光の反射を防ぐため、コーティング処理を施したプラスチック製の回転ベゼルには当初、裏側からプリントしたアクリルガラスか象嵌加工されていた。だが、プラスチックを組み合わせた素材は、コックピット内の高い負荷と温度に対する耐性を十分備えていなかった。サブマリーナーと同様、ロレックスはここでもメタルの採用を決定する。オリジナルのアクリルガラス製ベゼルを備えた初期のGMTマスターは、コレクターの間で人気が高い。当初のモデルでは、防水性が最大50mで日付用の拡大レンズもオプションで注文しないと付いていなかった 。パンアメリカン航空がいかに満足したかについては、GMTマスターがオフィシャルウォッチに選ばれたことからもうかがい知ることができる。
GMTマスターが成功し、人気モデルに上り詰めるまで、それほど時間はかからなかった。1960年には既存のモデルと並行してC.O.S.C.認定クロノメーター証明書を付与された第2世代のRef.1675がスタートラインに立つ。時計愛好家は、リュウズガードで両者を見分ける。1981年に供給が始まった新型の自動巻き Cal.3075は、GMTマスターのRef.16750から搭載されるようになる。ロレックスは1982年に、Ref.16760としてGMTマスタ―IIを市場に導入した。GMTマスタ―Ⅱでは、日付早送り機能を犠牲にすることで、リュ ウズを半分引き出した状態で、時針を1時間刻みで任意に送ったり、戻したりすることができた。
1956年:
1956年は、バーゼルの時計見本市で新作時計Ref.6511を発表した年といわれている。1955年、ロレックスはすでにこの新作のために特許を申請し、取得していた。風防に設けられたレンズで見やすく拡大されている有名な日付窓に加え、12時位管に開けられた弧を描く幅の広い開口部からは、フル表示される曜日の文字が堂々と姿を現す。ラグジュアリーウォッチ市場において、このニューカマーはロレックスを再びパイオニア・ブランドとしての地位に押し上げた。”デイデイト”という機能を主張する名を持つ腕時計は、18Kゴールドあるいはプラチナモデルのみでの供給である。非凡な腕時計への高い務持は、ゴールド無垢の”プレジテント”ブレスレットによってさらに強調されている。
厚さ7mmの自動巻きCal.1055 では、今では世界のほぼすべての言語で入手可能な曜日ディスクが日付リングの上で回転する 。最大 の特徴は、曜日ディスクに開けられた7つの小さな窓である。窓はいずれも、3時位置で正確に止まり、各曜日に対応する日付が窓からの ぞくように、賢く計算されている。
1957年にリリースされた同じデザインのRef.6611では、すでにCal.1055Bが時を刻んでいた。Cal.1055Bは、ムーブメントから 1日を通じて少しずつ動力が供給されるように、日付機構が改良されている。1972年に導入された後継のCal.1556には、待望のハック機能が搭載されていた。さらに、カレンダーの早送り機能も開発され、リュウズを半分引き出せば、日付と曜日を素早く修正することができた。
1960年:
長年にわたる成層圏研究から突如、深海へと関心が向かったのはなぜか、という疑問に、オーギュスト・ピカール教授は次のように答えている。
「私は、自分の意見を変えたわけでもなく、方法を変えたわけでもありません。成層圏気球と潜水球はまったく同じものなのです。両者とも、過酷な環境でも生き延びられるように作られており、耐圧球が装備され、周囲の媒体よりも重く、重力を調整するための“球”を備えています。ただ、パラメーターだけは修正する必要があります。個別のケースによって、圧力環境がまったく異なるからです」
1953年9月、ピカールは自身で発明したバチスカーフ FNRS-2に乗って、太平洋の水深3131.8mの深海に到達する.この記録的な偉業にはロレックスも一枚かんでいた。潜水器具の外側に取り付けられた特殊な時計が困難な環境をものともせずに乗り越えたことは、極めてセンセーショナルな出来事であった。だが、間もなく、より素晴らしい成果を上げることになる。
1960年1月23日、潜水球を備えた潜水艇”トリエステ” 号は、65回目の潜降に挑戦した。目的は、太平洋で最も深いグアム島沖、マリアナ海溝の“チャレンジャー海淵”である。 海底ならどこでも到達可能であることを証明するのが課題であった。“トリエステ”号と、 クルーのジャック・ピカールとドン・ウォルシュには、特別なロレックス・ウォッチがもう一度、同行した。防水ケースのスペシャリスト、 ロレックスは、”オイスター”ケースの高い性能をあらためて実証したかったのである。この目的を達成するため、技術者は特別に開発した腕時計を、重さ13トンの潜水球の厚さ 12cmの外殻に固定した。体積が著しく大きく、生産数も少なかったこの腕時計には、水深 1万916mの場所で約1125kg/㎠の水圧に耐えることが求められた。そして、球形の厚い風防を備えたディープシー スペシャルはここで、称賛に値する仕事をやり遂げたのだ。
1961年:
オイスター・クロノグラフ発売。
1963年:
耐久レースを走るドライバー用に「コスモグラフ」を発売。時間を計測するクロノグラフと平均速度を計るタキメーターを搭載。デイトナビーチに由来した「デイトナ」の文字をインデックスに刻む。
1967年:
ダイバーとしてフランス企業、COMEX社 (Compagnie Maritime d’ Expertise) の仕事をしたければ、正真正銘のプロフェッショナルでなければならない。COMEX社の潜水ミッションに従事する職業ダイバーの多くが、Ref.5513 のサブマリーナーに信頼を寄せていた。だが、ヘリウムを混合した新しい吸気用ガスが使用されるにつれ、潜水可能な深度がますます深くなり、同じ混合気で満たされた減圧タンクによって労働条件に変化が生じると、定評のあるモデルでさえ、ある問題に直面することになる。減圧タンクの中で過ごしている間に、ヘリウムの分子がプレキシガラスとパッキンを透過してケース内部に浸入するのだ。
潜水ミッションが終了すると、ヘリウムガスが時計のケースから漏れ出すよりもずっと早く、ダイバーたちは再び大気と同じ圧力環境にさらされる。こうして、時計の内部で圧力が上昇すると、風防は破裂して外れてしまう。苦悩の末、COMEX社はパートナーであるロレックスに対策を懇請した。
この願いは開発に反映され、悪影響を及ぼすガスをケースから抜くための新式のヘリウム排出バルブは、1967年に特許を取得する。ロレックスは当初、Ref.5513のサブマリーナー改良モデルにヘリウム排出バルブを搭載し、COMEX社の専用モデルとした。このモデ ルでは、ケースバックに専用ID番号が刻まれ、ダイアルには COMEX社の銘が入っている。再び”COMEX”の銘が入ったふたつ目のシリーズには、Ref.5514という番号が与えられた。1967年、これらに加えて最大610mの防水性を備えた“シードゥエラー” が導入される。Ref.1665を与えられたシードゥエラーは 1967年以降、一般向けにも販売されるようになった。1978年にはサファイアクリスタル製風防、改良型ヘリウム排出バルブ、1220mの防水性を備えたRef.16600 がリリースされる。
1969年:
サブマリーナーに日付表示を搭載した「サブマリーナーデイト」発売。
1971年:
ロレックスは、1920年代にはすでにシンプ ルなワンプッシュクロノグラフを売り出していた。カタログで初めて5種類のクロノグラフが紹介されたのは1937年頃で、1939年には 新機種が数多く登場している。この中には、30分・12時間積算計を備えたRef.3335や、 防水性を備えた初のオイスタークロノグラフ、 Ref.3481も顔を揃えていた。“プレ・デイトナ” と呼ばれる、スムースベゼルを備えた Ref.6238は、こうした傑作のひとつに数えられ、1967年頃に3600個ほど作られた。
神話的存在として挙げられるのは、デイトナのRef.6239、6241、6262、そして、いわゆる“ポール・ニューマン”ダイアルを備えた Ref.6264である。正方形の小さなポイントインデックスが配されていることがこのダイアルの特徴だが、市場に出回っているどれほどの個体にオリジナルダイアルが装備されているのか、甚だ疑問である。
ロレックスのクォーツ、と聞くと、矛盾ているような感覚を覚えるだろう。ロレックスは1960年、ビューレン、サーチナ、オリスレビュー・トーメン、ローマーといった時計製造会社とともに、電子腕時計を開発するためのコンソーシアムを設立した。開発の依頼先は、スイス連邦工科大学チューリッヒ校エ業物理学研究所 工業研究部(AFIF)である。電子時計の時代の到来を視野に入れ、ロレックス、ビューレン、サーチナ、ローマーは1969年にネオソニック株式会社をビエンヌに創立する。大学での研究成果を量産品の工業化に応用するのが、この会社の課題だった。
しかし、AFIF は、直ちに時流にかなったクォーツ技術に取り組むことをせず、すでに過去の時代のものとなっていた音叉技術の開発に着手する。ここで時間のロスが発生し、1969年に初の量産クォーツ時計を発表した競争相手 のベータ・グループに敗北を喫してしまう。 ロレックスは賢明な洞察力により、16の参加企業のひとつとして、また、1962 年にヌーシャテルに設立されたスイス電子時計センター (CEH)の株主として、クォーツムーブメント Cal. ベータ21の開発に参加していた。だが、 ベータ 21は品質のうえで、ロレックスにとって甚だ不満の残る出来栄えだったため、自社工房ではさらなる改良が施された。
こうして、ゴールドの”クォーツ デイト” (Ref.5100) は1970年6月5日にデビューしたが、ロレックスらしからぬ 風貌により、成功は長続きしなかった。当時の社長、アンドレ・ ハイニガーは、クォーツ技術にどれほどの開発が必要か、また、どれほど熾烈な競争が特ち受けているか、即座に予見し、大胆にも時代と逆行する道を選ぶ。電子機器がブームの 時代であり、1972年からはクォーツムーブメ ントを自社開発し、1977年には“オイスター クォーツ” (Ref.17000) を発表したにもかか わらず、ロレックスはその後、それまで信頼を築き上げてきた機械式機構と再び苦楽をと もにすることを固く決意するのだ。
1976年:
オイスター・コスモグラフ・デイトナにスクリュー・ダウン・プッシュボタンを採用。
1977年:
日付早送り機構のキャリパー3035発売。
1978年:
オイスター・クォーツ発売。50m防水、1000エルステッド耐磁。
シードゥエラー4000の発表。1220m防水という性能で登場したプロダイバー使用のハイスペックモデル。
1983年:
GMTマスターⅡ発売。短針早送り機能を装備。
1984年:
サブマリーナーが300m防水になり、サファイアガラスを採用。
1985年:
非常に優れた耐蝕性の「904Lスチール」をステンレスモデル全てに採用。数あるブランド時計の中でこの素材を使用するのはロレックスが初。
1988年:1976年に発表されたRef.6263と6265を最後に、ロレックスでは手巻きクロノグラフの時代が幕を閉じる。1988年の時点では、まだ自社製自動巻きクロノグラフムーブメントの完成には程遠かったとはいえ、ロレックスは人知れず、コスモグラフ デイトナの自動巻きモデルの開発に取り組んでいた。バーゼルの見本市で同時に披場されたRef.16520、16523、16528の3機種は、すべて100mの防水性を備えていた。自動巻き Cal.4030のベースとなったのは、ゼニスの“エル・プリメロ”である。3万6000 振動/時(毎秒10振動)という高いテンプの振動数に、ロレックスの時計師たちはあまりなじめず、デイト表示も技術者には不満なものだった。
したがって、最高の信頼性を提供するという信念に基づき、エル・プリメロには徹底的に手が加えられた。最終的に、オリジナルのまま手を加えなかったのは、全構成部品の約半分に過ぎなかったほどだ。最も大幅な修正が加えられたのは、輪列である。時計師による荒療治の結果、テンプこの振動数は2万8800振動/時(毎秒8振動)に抑えられた。計測時間の最小単位が8分の1秒になったにもかかわらず、ダイアルには5分の1秒の目盛りがそのまま残されていた。このほか、ハック機能がないことと、巻き上げ式自由振動ヘアスプリングが搭載されていることが、ロレックス版の特徴だった。
精度の微調整は、Cal.4030で格段にサイズアップされたテンワの内側に取り付けられた4個のマイクロステラナットで行われた。ヘアスプリングの外端部を三角形のヒゲ持ちに固定することで、アジャスターを締める際にへアスプリングの有効長が不用意にずれるのを防ぐことができた。さらに、外周部に重金属製の分銅を持つロレックス特有のローターや、平らに研磨して面取りとポリッシュ仕上げを施したネジ、また、C.O.S.C.認定クロノメーター証明書が付いていたことも、Cal.4030の特徴である。スティールモデルは特に、あらゆる期待を上回る出来栄えであった。ロレックス自身は初めから、クロノグラフにおけるゼニスとの婚姻関係を過渡的な解決方法とみなていた。Cal.4030は、マニュファクチュールムーブメントの中においては依然として異物的存在だからである。
1990年:
エクスプローラーⅡがモデルチェンジ。 デザインを一新、短針早送り機能を追加。
1991年:
エクスプローラーⅡのセカンドモデルRef.16550発売。
1992年:
レディースのエレガントモデル「パールマスター」の登場。
ヨットマスター発売。スポーツモデルに新しいラインが加わり、唯一メンズ、ボーイズ、レディースの3種が製造される 。
1999年:
ヨットマスター・ロレジウム発売。ベゼルにプラチナを使用。
2000年:
急いては事をし損じる、という哲学は、まさにロレックスの姿勢そのものである。特許を取得したマニュファクチュール Cal.4130を搭載した“デイトナ” (Ref.116520)のスティールモデルは、2001年のバーゼル時計見本市の花形のひとつであった。完全にゼロから設計され、2000年にはゴールドモデルで発表されたムーブメントは、直径30.5m、厚さ6.5mmで、44個の機能石と、2万8800振動 /時という慣れ親しんだ振動数のテンプを備えている。
先代のCal.4030との大きな違いは、ハック機能と垂直フリクションクラッチが搭載されていることである。垂直フリクションクラッチは、針飛びのないクロノグラフのスムーズな始動を約束し、ムーブメント側に取り付けられたクロノグラフのカウンター機構は、最長で12時間まで計測することができる。平常時で約72時問、クロノグラフを作動させた状態では約66時間、確保されるパワーリザーブの恩恵により、この腕時計は週末の間、手首から外して置いておいてもまったく問題ない。月曜日になっても、ただ動き続けているだけでなく、極めて正確な時刻を表示するのだ。
旧来通り、ロレックスは供給するすべてのコスモグラフ デイトナに公認歩度証明書を付けている。余談だが、完全自社製なのはクラシカルなコラムホイールを搭載したエボーシュだけでなく、過酷な負荷にも高い耐性を示す、自由に振動するパラクロム・ヘアスプ リングも内製品である。新型ブレスレットは、すべてのディテールにおいて品質が高く、格段の進化を遂げている。現行モデルのRef.116520では、細部まで熟考が重ねられたダイアルに、Ref.16520の旧デイトナとの違いが表れている。スモールセコンドが6時位置で回転し、水平ライン上に並んだ時と分のクロノグラフ針は、ダイアルの中心軸から若干上方に移動している。こうした繊細な差を見つけ るのは喜びの瞬問だろう。さらに、新型ムー ブメントとブレスレットについては、ダイアルよりも違いは歴然としている。加えて、コスモグラフ デイトナ Ref.116520 のスティールモデルを着用するなら、約20g増えた重量に 耐える覚悟が必要だ。
2000年以降:
デイトナがフルモデルチェンジ。自社開発のクロノグラフムーヴメント「Cal.4130」を採用。今までと比較すると使用パーツが少なくシンプルになる。
ロレックスはこれを機に全てのモデルが自社製のオリジナルムーブメントとなる。
GMTマスターⅠ製造中止。
それに伴いGMTマスターⅡのベゼルに青/赤のツートンとブラックが追加。
2007年:
ミルガウスの復活。
ヨットマスターⅡ発売。ケースサイズが大きくなり視認性が向上。
新素材「セラクロムベゼル」が使われる。
2008年:
ディープシー発売。
2012年:
スカイドゥエラー発売。旅行者向けに作られたモデルで年次カレンダーを搭載。
新型ムーヴメントCal.9001を搭載。
ロレックスは、デザインから製造までを通じて、あらゆるレベルで一貫した品質管理手順が実施され、 素材、部品、機構は最高レベルを維持し、ブランド時計としての地位を確立。
日本ではバブル期にステイタスの象徴としてブームが巻き起こります。 その人気は今も衰えることなくプレミアの付くモデルまで登場しています。
今後もロレックスは最高峰の時計ブランドとして時計ファンのみならず、多くの人々を魅了していくことでしょう。